大阪のネパールレストランゴルカバザール

〜NAMASTE 〜

     

1999年6月6日は、ぼくにとって忘れられない日です。

この日、生まれて初めて、日本の土を踏んだのです。

関西国際空港から、奈良へ向かうリムジンバスの中、
窓から見える景色は、驚きの連続でした。

延々と続く大きな道路、巨大な橋、高いビル、ビル、ビル・・・

テレビでは見たことはあるものの、実物を目の当たりにすると、
なんともいえない感動がありました。

このテクノロジーの進んだ日本で、できるだけたくさんのことを吸収しよう。
そして必ずネパールの役に立てよう。

強く心に誓いました。

 

<学校に通いたかった>

ぼくはネパールの首都カトマンドゥの西140kmにあるゴルカという地域の
村で育ちました。ネパールの人口のほとんどがそうであるように、ぼくの
両親は農民で、ヒマラヤを望む山に住んでいました。
祖父は町の有力者で、初孫のぼくは祖父から可愛がられ、いろいろなことを
教わりました。小さいこのぼくは、好奇心旺盛でいろいろな事の飲み込みが
早かったそうで、普通の子どもよりも早く学校に通い始めたそうです。
学校には山道を2時間近く歩いていかなければならなかったけど、学ぶことが
大好きだったぼくは、毎日喜んで学校へ通っていました。

ところがぼくが12歳のとき、両親の暮らし向きは悪くなり、
ぼくが学校に通い続けることすら厳しくなってしまったのです。
ネパールには日本のような公的機関の就学支援はありません。
現金収入の少ない農家では、テスト用紙代が払えないがために
進学をあきらめる子どもたちが今もたくさんいるのです。

学校に行けない―ぼくにとっては何よりも辛いことでした。
ぼくは家を離れ、町に出て、働きながら学校へ通う方法を探しました。

カトマンドゥでいろいろな仕事をしました。皿洗い、お茶の出前、
そしてゲストハウスで住み込みで働いている頃、ぼくは病気にかかりました。
それでも、学校へ通い続けたいという気持ちは捨てられませんでした。
幸運にも、ゲストハウスのオーナーが、ぼくを支えてくれました。
ぼくが体力を取り戻せるように、毎日生絞りジュースを飲ませてくれ、
働きながら学校に通えるように、シフトを組んでくれました。
本当に、ありがたいことでした。とはいえ、朝早くから一仕事し、
学校で授業を受け、ゲストハウスに戻ってまた仕事をし、
夜遅くまで勉強することは、決して楽なことではありません。
ぼくと同じように働きながら学校に通っていても、学業を挫折してしまう
友人はたくさんいました。けれどぼくは、オーナーの気持ちにこたえるため、
そして何より自分自身の意志を遂げるために、がんばって両立しました。

ガイドやゲストハウスの仕事を続けるうちに、縁があって日本に来ることになりました。

<GORKHA BAZARを開店するまで>

今では関西弁でおやじギャグを飛ばしていますが、日本に来たばかりの頃は
あいさつ程度の日本語しか話せませんでした。最初に就職した仕事で、
同僚に教えてもらい、お客様との会話を通して、日常会話が話せるように
なりました。

その後興味のあった建築系の仕事に転職しました。どんな仕事をしていても、
常に、その経験をネパールに帰ったときに生かせるよう、精一杯吸収しようと
していました。

たまに、ネパールに行ったことあるよ、という方に出会うことはありましたが、
大部分の日本人は、ネパールがどこにあるのかも知らないようでした。
ネパールのことをもっと日本の人に知ってもらいたい・・・
どうすればいいだろう、と考える中、やはり、食文化を広めるのが
てっとりばやいのではないかという結論に至りました。ただし、ぼくは
プロのコックではないので、自分でも提供できるネパールの軽食を
提供する「たちのみ屋」を開くことにしました。

何ヶ月もかけて納得のできる店舗を探し、谷町9丁目に小さな一棟貸し
物件を見つけることができました。
資金はあまりなかったので、内装はほとんど自分たちで工事しました。
そして2005年4月に、SHEKWA & STANDING BAR GORKHA BAZARを
開店しました。 関西発のネパール串焼き専門の店でした。

<たくさんのお客様との出あい>

当時メニューの幅はあまり広くはありませんでしたが、開店前にネパールで修行した
串焼きシェクワの味には自信がありました。
ビールも、いつでもきめの細かい泡のおいしいビールを出せるように
毎日洗浄を行い、サーバの定期点検も欠かしません。
そしてなにより得意なのがお客様とのおしゃべり!
ネパールでガイドをしていたときから、ぼくはどんな相手とでも会話に
困ることがないのです。タパさんは老若男女誰とでも話ができて
すごいね、と感心されることもありますが、人が好きだから、
話が尽きないのです。

実はGORKHA BAZARを開店した当時は、1階の店舗だけできていて、
2階、3階はまだ完成していませんでした。バーを経営しながら
工事をしようと思っていたのですが、仕込み、店の運営とで忙しく
思うように進められませんでした。そんなとき、バーの常連さんたちが
率先して工事を手伝ってくれ、2階にパーティールームを作ることが
できました。本当にうれしいことでした。

他にも、知り合いにバーのことをどんどん紹介してくださるお客様や、
差し入れを持ってきてくださるお客様や、遠くから通ってくださるお客様と、
いろいろなお客様に支えられてきました。

<レストランの開店と挫折>

2008年に、バーの隣の喫茶店のママに、自分はもう引退したいから
店を拡大してここでレストランを開いたら?と持ちかけられました。
ビルのオーナーさんが同じだったので、スムーズにことが運び、
プロのコックさんが入ってのレストランをオープンしました。

店のことは雑誌やラジオでも紹介していただきました。
コックさんやアルバイトの給料を払うのは大変だったのですが、
もっともっとネパール料理を広めたい、カジュアルな店だけでなく、
ゆっくりと食事ができる高級志向の店も運営したい、という気持ちで
いっぱいになり、少し背伸びして、2010年に宗右衛門町に2号店を開店しました。

ところが、ぼくがいない間に本店の方の客足が減ってしまいました。
店まで来ても「タパがいないなら、いいや」といって帰ってしまう
お客様が多かったのです。これは、味ではなくぼくの個性だけで
店がなりたっていたという証拠でした。それをぼく自信がわかってなかったのです。

残念ながら2号店は1年足らずで閉店することになってしまいました。
大きな借金が残りました。けれど、ものすごく深い勉強にもなりました。

<酒販売開始>

また谷9にもどって、本店の立て直しを始めました。
スタッフも整理し、本当に店のためにがんばってくれる人が
残ってくれました。

大好きなネパール産のお酒を自分でも販売したかったので、
2012年早々に酒類販売免許を取得し、バー部分を酒屋にし
スパイスや雑貨の販売も行っています。いろんなものを売ってる
BAZARの形態に近づいています。

<これからのGORKHA BAZAR>

一旦やめていたランチも再開し、徐々にお客様がもどってくれるように
なりました。ネパールの定食ダルバートもレギュラーメニューに加えました。

「ゴルカバザールのダル(豆スープ)の味が好きだから」と
遠くからわざわざ通ってくれるお客様もいらっしゃり、
ようやく料理や、店を支持してくれるお客様も増えてきました。

メニューや宣伝など、まだまだ試行錯誤ですが、お客様に喜んでいただける
味、サービス、環境を整えるために、スタッフ一同毎日努力しています。

これからもGORKHA BAZARは向上心を忘れません。

ぼくはあと何年かしたら、ネパールに帰って国のために
働きます。
ぼくのように学校に行きたくても通い続けられない子ども達のために
国をよりよくするために、ますます働くつもりです。

それまではせいいっぱいGORKHA BAZARで、お客様にサービスして
いきます。みなさまよろしくお願いします。

2013年11月   GORKHA BAZAR 店主 タパ ディワカル

 

 

 

 

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